1271年9月12日、日蓮宗の宗祖である日蓮上人が処刑場に護送されるとき、この地に住む尼が「ごま入りのぼたもち」を捧げたところ、処刑を免れたといわれています。 なぜぼたもちを捧げ、なぜ刑を免れたのか。 なんともわかりませんが、ともかくその言い伝えに因んだ「ぼたもち供養」。 この日、常栄寺では祖師像にぼたもちが捧げられ、参詣者にはぼたもちが振る舞われます。
1063年、源頼朝の5代前の頼義(よりよし)が京都の石清水八幡宮を材木座付近に勧請し、由比若宮として祀りました(海の彼方のヴェネツィアでサン・マルコ聖堂が着工されたのと同じ年です)。この由比若宮が鶴岡八幡宮の始まりで、そこはいま「元八幡」と呼ばれています。その約120年後、鎌倉に入った頼朝はこれを現在の若宮付近に遷し、1191(建久2)年の大火の翌年には現状の本宮・若宮のかたちに再建します。こうして幕府と鎌倉の町や道が八幡宮を中心に造られてゆきました。鶴岡八幡宮の例大祭は、9月14日が早朝に由比ガ浜にて浜降式、夕刻に宵宮祭、15日が例祭、八幡神を神興に遷して渡御する神幸祭(しんこうさい)では宮司以下神職の行列が若宮大路を二ノ鳥居まで進みます。16日には馬場では鎌倉時代さながらの流鏑馬が行われ、鈴虫放生の神事があります。
笛、太鼓のはやし連中の後に白いのぼり旗の竹をかつぐ白装束の人々、面をつけた人々が、御霊神社から極楽寺坂の手前まで行列します。 爺(じい)、鬼、異形(いぎょう)、鼻長(はななが)、烏天狗(からすてんぐ)、翁(おきな)、火吹男(ひふきお)、福禄寿(ふくろくじゅ)、おかめ、女と十の仮面をつけた人が続きます。 おかめはユーモラスですが、鬼や異形を近くで見るとぎょっとする迫力。鶴岡八幡宮でも行われていたそうですが、現在は御霊神社例大祭だけに。 県の無形民俗文化財で、鎌倉を代表する祭りの一つです。